Raphael Tuck & Sons

ヴィクトリアン・エドワーディアン時代の、最も名の知れたプリント業者のひとつ、
Raphael Tuck & Sons。
ラファエル・タックは1865年にプロイセンからロンドンに渡り、
翌年1866年に小さなお店を出しました。
当初は絵画やクロモリトグラフ(色刷石版印刷、リトグラフを色重ねにしたカラー印刷)
の販売やフレーミングをしていました。
1870年にラファエルの3人の息子が加わり事業を拡大し始め、
1871年にはじめてクリスマス・ニューイヤーカードを作りました。

1870年代の広告
*この頃のカードはまだポストカードではありません。
イギリスのプリント業者は、1894年に
郵便で送ることのできるポストカードの生産をロイヤルメールより認められ、
1899年にユニバーサル・ポスタル・ユニオン規格のポストカード
(5.5インチ×3.5インチ)の生産が認められます。
それまでのカードは多種多様な大きさ、形をしています。

年代不明
Raphael Tuck & Sonsは、新しい才能を見つけるため、
そしてデザインのバラエティーを増やすため、
アーティストのコンペティションを開催していたようですが、
特に1880年に開かれたものはたくさんの応募者があり、かなりの規模だったようです。

1885年?Artistic Series 2085
1881年にラファエルは引退し、息子の一人、アドルフが会社を会社を引き継ぎます。
このころ、その後なじみ深いものとなる、このトレードマークが使われるようになりました。

1893年にRaphael Tuck & Sonsはヴィクトリア女王により王室御用達の称号を手にします。
そしてヴィクトリア女王亡き後も、王室にカードを作り続けました。
アドルフは1900年に、コレクターを対象とした
Raphael Tuck & Sonsのカードのコレクティングコンペティションを開催します。
これも話題になったようで、その後も何度か開催されました。
コレクターをターゲットにした"limited edition"カードを発売するなど、
アドルフはやり手のビジネスマンだったようです。

年代不明Artistic Series 2108
1904年には、発売したカードのデザインは15,000点以上にのぼるそうで、
アドルフ・タックは第一次世界大戦前のポストカードブームを先導しました。
Raphael Tuck & Sonsは第2次世界大戦後も事業を続けますが、
1960年代にPurnell & Sonsに吸収されることとなります。
大戦中の1940年12月、拠点であったラファエルの家が空襲により破壊され、
初期のレコードがなくなってしまうという悲しい出来事がありました。
しかしRaphael Tuck & Sonsのカードは世界中にひろまっているので、
いまでもそのハイクオリティーなカードを楽しむことができるんですね。
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